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京都家庭裁判所 昭和52年(少)3596号 決定

少年 F・R(昭三六・一〇・二七生)

主文

少年を医療少年院に送致する。

理由

1  審判に付すべき事由

(1)  第三五九六号事件通告書の通告の理由

(2)  第三六七七号事件司法警察員作成にかかる少年事件送致書の犯罪事実

(3)  第一三三号事件司法警察員作成にかかる少年事件送致書の犯罪事実

と同一であるから、これを引用する。

2  法令の適用

(1)につき 少年法三条一項三号イ、ロ

(2)の犯罪事実(一)につき 刑法二三五条

同(二)につき 道路交通法一一八条一項一号、六四条

(3)につき いずれも刑法二三五条、六〇条

3  処分及びその理由

(1)  少年は、一人つ子的存在であつたため、甘やかされて生育し、中学生時には校内素行不良者と交遊し、怠学、喫煙、教師への反抗等の学内での問題行動を多発させた。この間中学二年生時に空巣盗を働いて児童相談所に通告された。その後、中学三年生時の他校生に対する共同暴行により当庁に事件送致されるに及んで、昭和五一年一一月一五日在宅試験観察に付せられたが、嫌学傾向、学内外にわたる不良交遊は相変らずで、窃盗の再非行の敢行、中学校卒業後の徒遊状態の継続、無断外泊、交遊者らが結成した暴走族への加入と素行はなかなか修らず、昭和五二年七月八日保護観察に付せられた。

ところが少年は再出発の決意を表明していたにも拘らず、不良交遊を絶ち切れないまま、同月一〇日には単車の無免許運転をなしたうえ〔本件(2)の犯罪事実(二)の非行〕、警察官に追われて逃げ込んだ先の民家から変装用の着衣を窃取し〔本件(2)の犯罪事実(一)の非行〕、その頃から無断外泊と帰宅、帰宅時の家業手伝といつた生活を繰り返し、同年八月には少年の立直りのきつかけにしようとして企図された海外旅行に父親と同行したものの、帰国した翌日には外出したまま所在不明となる有様で、又同年九月には、一時帰宅した際の文身の発覚、父親の叱責などもあつて、ますます帰宅しにくくなる一方、当時同じく家出していた従前からの交遊者らと行動を共にするうち、生活費及び遊興費に資するためこれらの少年と本件(3)の非行を次々と累行するに至つた。

同年一〇月一四日保護観察所から本件(1)の通告がされるに及んで、当裁判所は観護措置により少年を収鑑したうえ、同年一一月二日少年が大津市内の父親の知人○○方で稼働することを条件に再度少年を試験観察に付したが、少年の行状に心を痛めていた父親は当裁判所及び保護観察所に無断で少年をアメリカの知人宅へ向け出国させた。少年は言語と慣習の異なる外国での孤独な生活の中で、両親及び日本の遊び友達とりわけ女友達への想いを募らせていたが、同年一二月二九日ビザ切替のため一旦帰国したのを機に、女友達の許に身を寄せた。しかして少年のこのような状態に不安を抱いた両親は、昭和五三年一月二二日再び少年を無断で半ば強制的に渡米させたが、同国での生活に耐えられなかつた少年はわずか一週間足らずのうちに帰国し、先づ女友達のもとに立ち寄り、翌日帰国の了解を得べく帰宅したところ、あにはからんや、父親の激怒にあい、勘当同様の形でつき離されたため、途方に暮れ、その結果もはや自分で自立してゆくほか道はないものと考え、上記○○方を訪ね、同所で働こうと決意した。しかしこれも三日と続かず、遊びたい一心から、かつての遊び仲間を訪れたが、予期に反して、少年のふがいなさにあきれかえつた仲間は従前と異なり、少年を快く受け入れなかつたため、少年は最後のよりどころをも失つたと感じ、女友達の許に身を寄せたものの、次第に自暴自棄的になつていつた。ところで少年は、その頃たまたま覚せい剤の使用を覚え、以降自棄的、自虐的気持から、同行状で同行されるまでの一〇日間程の間に覚せい剤を三回程注射したのみか、覚せい剤のかわりに味の素や塩をも使用するといつた状態であつた。そして少年が同行状により保護された際には、五日間程前からの断食状態と不眠から心身共に疲弊し切つていた。

(2)  少年は、能力的には普通域にあるが、仲間への同調性と承認欲求の強い、感情、行動優位の自己顕示性性格の持主で、自由にふるまいたがる子供の特性を多く残存させており、自分の行動の理性による統御ができない。又忍耐力や成就欲求に乏しく、快楽追及的に容易に交遊に走つてしまう。

しかし一方、さびしがり屋で、親切心、思いやりはあり、反社会的な構えは特になく、家庭からは一時的に離脱はするものの、両親への親和感は失われておらず、究極的には家庭に根を有している。又自己の生活態度に対する反省はあり、とりわけ今回の試験観察中における多くの体験はこれを深めてはいるが、行動が伴わず、伴つても持続性に欠ける。

(3)  少年の家庭は経済的には裕福で家庭内にとりたてた問題はなく、少年の両親、とりわけ父親は、肝腎なところで甘さを見せる嫌いがあつたが、少年に対し深い愛情と関心を寄せ、最近では少年をつき離して自立を促す態度をもとるようになつている。しかしながら一方、種々の手だてを講じたにも拘らず、なおも自由にふるまう少年の姿を見て、万策尽きたと感ずるとともに、少年の更生に自信を喪失してもいる。

(4)  以上に見た少年の行動歴及び資質上の負因に鑑みると、少年の要保護性はかなり高いものであることが認められるところ、保護観察及びその後の試験観察の経過に照らせば、少年の今後の健全育成を社会内処遇に託すことは、困難な段階に達しているといわざるを得ず、この際少年を少年院に収容したうえ、忍耐心を養うことにより、遊び一辺倒の生活から地道な職業生活への転換を図るための社会適応能力を培う必要がある。しかして少年は現在、心身疲労状態にあるとともに、頸部捻挫、湿疹の疾病をも有しているので、収容少年院としては、医療少年院を相当とする。

勿も、少年にはいまだ反社会的な構えはなく、家庭からの離反はあるが、表面的であり、究極的には家庭に親和しており、他人に対する思いやりも失われていないなどの少年の資質上の好点、過去の自己の生活との決別と今後の自立への自覚を少年なりに深めつつある現状、少年の非行の多く、とりわけ最近のそれが追いつめられた状況下、(少年自身が作出したものであるが)でのものであることからうかがえるように、少年の非行性はさほど深いものではないこと、及び比較的恵まれた少年の家庭環境と両親の積極的な監護姿勢などの諸事情に鑑みると、少年に健康障害が存しなければ、一般短期処遇課程を有する少年院での処遇により、少年の健全育成を十分図り得るものと考えられるから、医療少年院での治療完了後の移送先少年院としては、同課程を有する中等少年院への移送を考慮されたい。

(5)  よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 園田秀樹)

審判に付すべき事由の(1)

通告の理由

「保護観察の経過及び成績の推移」にみるとおり、本人は

1 家出・無断外泊をくり返し、保註者の正当な監督に服さず、

(少年法第三条第一項第三号イに該当)

2 勤労意欲なく無為徒食の生活を送り、自ら不良交友を求め恣意放逸な生活を送つている。

(少年法第三条第一項第三号ハに該当)

以上の事実のほか七月一〇日に道路交通法違反(無免許運転)住居侵入窃盗の非行事実もあり、本人の性格並びに環境に照し、近い将来刑罰法令に触れる行為をするおそれがあり、この際矯正教育を受けさすことを相当と考える。

保護観察の経過及び成績の推移

保護観察開始早々の七月一〇日に無免許運転と住居侵入等の非行を敢行し、○○警察署において取調べを受けた。その二日後の七月一二日から無断外泊を続け友人宅を転々としてきた。同月一八日に帰宅したが、そのとき本人の自室で友人(男性一人、女性二人)とボンドを吸引していた。同月一九日、再び外出したまま帰宅せず居所不明になつた。同月二五日に帰宅、同日は家業を手伝つたが翌二六日再度外出したまま帰宅せず二日間外泊、同月二八日帰宅、以後同月末まで家業を手伝つていたが、この間夜は友人のA宅にて寝泊りしていた。

八月一日以降一四日までいやいや家業を手伝つていたが、この間の同月六日にはA宅で友人数名とボンド遊びをしていたところをAの母に発見され、ふらふらになつている本人を父が引き取りにきて帰宅、同月一五日から四日間またも外泊し、同月一九日帰宅。

父はかねてより本人の立直りのきつかけをつかもうと海外旅行を計画、同一九日から一週間の予定で本人を連れハワイ旅行に出発した。同月二六日に帰国したが翌二七日外出したまま帰宅せず以来行方不明になつた。(この間本人は友人宅を泊り歩き無為徒食していた。)

九月一六日に本人が帰宅したので担当保護司が説得し、母も同伴の上、同日当庁に出頭(九月八日を指定日として呼出すも不出頭のもの)主任官が本人に面接し、家出中の行動等につき調査の上誓約書を徴すなどの強力なる指導をなすも九月一七日またも家出し、以来行方不明のものである。

審判に付すべき事由の(2)

犯罪事実

被疑少年は、別紙犯罪行為一覧表(編略)一号記載のとおり、B、一九歳、C、一六歳、D、一四歳(犯行時、一三歳、触法)らと共謀して昭和五二年九月二五日午後九時ごろ、京都市東山区○○○○○○町×××、煙草小売商、F子七四歳方店舗内において、右同人所有にかかる、現金一万四、〇〇〇円位を窃取したのをはじめ、

別紙、犯罪行為一覧表(編略)、二号、三号、四号、五号、六号、記載のとおり、右同日から同年一〇月三日までの間において、前記関連少年らと共謀して、前後六回にわたり、被害者、F子ほか五名所有にかかる現金、足踏二輪自転車等、時価計一一万七、〇〇〇円相当を窃取したものである。

参考 (少年調査記録経過一覧より抜粋)

昭和五三年 三月 四日 医療少年院送致決定

三月 六日 京都医療少年院入院

四月 六日 一般少年院で処遇可能との診断

四月一七日 移送求意見送付

四月二五日 移送意見回答(移送相当)受理

四月二六日 移送申請書送付

五月 四日 移送認可書受理

五月一五日 播磨少年院に移送

八月二一日 仮退院

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